ARTFORUMの中国版ウェブに, 現在メゾンエルメス8階フォーラムにて開催されている「ウルの牡山羊」シガリット・ランダウ展のレヴューを書きました。今回僕の日本語の文章はどこにもアップされません。
僕はイスラエルで活動しているランダウがシオニズムの歴史を取り上げつつ作品化しているなかで、彼女の態度と作品化する上での飛躍がなんであるのかについ
て短いながら検証しました。いい勉強になりました。沢山くんは「ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか」について書いています。
中国語読める人はよろしくお願いします。
http://artforum.com.cn/picks/section=world#picks5300
2013年7月10日水曜日
2013年6月22日土曜日
【告知】石川卓磨キュレーション展プロローグ Tell all the Truth but tell it slant ー真実を語りなさい、しかし斜めに語りなさいー
2013.6.8 - 2013.6.22
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石川卓磨キュレーション展プロローグ
Tell all the Truth but tell it slant ー真実を語りなさい、しかし斜めに語りなさいー
参加アーティスト:外島貴幸、豊嶋康子、箕輪亜希子、吉田正幸
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オープニングレセプション:2013.6.8 18:00-21:00
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本展覧会は、2013年12月に開催が予定されている、石川卓磨キュレーション展のプロローグとして位置づけられる展示プロジェクトです。この他にも石川 キュレーション展の関連企画としては、今年1月よりWeb上で継続的に展開されている、同タイトルのブログによるプロジェクトがあります。 (http://totomiyo.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html)
本展では、4名の参加作家それぞれが、テクスト、ドローイング、漫画、パフォーマンスなどジャンルを横断した思考に基づき、鉛筆のみを使って制作する ウォール・ドローイングが展示されます。鉛筆は、書く/描くものとして伝統のあるオーソドックな素材ですが、巨大な壁面と空間との不釣り合いな関係によっ て、ネット空間とは違う形で作家の試みや制作の基本姿勢が反映されるでしょう。また会期中には、造形作家・批評家の岡﨑乾二郎氏と、キュレーターの薮前知 子氏を招いて、トークイベント「展覧会の想像力」を行います。
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Artists:
外島貴幸
豊嶋康子 >>
箕輪亜希子
吉田正幸
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Press Release >>
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ギャラリートーク:展覧会の想像力
日時 2013年6月18日(火) 19:30-21:30 (19:00開場)
会場 TALION GALLERY 台東区谷中3-23-9
定員 30名 要予約
※予約の受付は終了致しました。
入場料 ¥1000 (1ドリンク付き)
参加者 岡崎乾二郎(造形作家/批評家)
薮前知子(キュレーター)
石川卓磨(美術作家)
石川卓磨キュレーション展プロローグ
Tell all the Truth but tell it slant ー真実を語りなさい、しかし斜めに語りなさいー
参加アーティスト:外島貴幸、豊嶋康子、箕輪亜希子、吉田正幸
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オープニングレセプション:2013.6.8 18:00-21:00
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本展覧会は、2013年12月に開催が予定されている、石川卓磨キュレーション展のプロローグとして位置づけられる展示プロジェクトです。この他にも石川 キュレーション展の関連企画としては、今年1月よりWeb上で継続的に展開されている、同タイトルのブログによるプロジェクトがあります。 (http://totomiyo.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html)
本展では、4名の参加作家それぞれが、テクスト、ドローイング、漫画、パフォーマンスなどジャンルを横断した思考に基づき、鉛筆のみを使って制作する ウォール・ドローイングが展示されます。鉛筆は、書く/描くものとして伝統のあるオーソドックな素材ですが、巨大な壁面と空間との不釣り合いな関係によっ て、ネット空間とは違う形で作家の試みや制作の基本姿勢が反映されるでしょう。また会期中には、造形作家・批評家の岡﨑乾二郎氏と、キュレーターの薮前知 子氏を招いて、トークイベント「展覧会の想像力」を行います。
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Artists:
外島貴幸
豊嶋康子 >>
箕輪亜希子
吉田正幸
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Press Release >>
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ギャラリートーク:展覧会の想像力
日時 2013年6月18日(火) 19:30-21:30 (19:00開場)
会場 TALION GALLERY 台東区谷中3-23-9
定員 30名 要予約
※予約の受付は終了致しました。
入場料 ¥1000 (1ドリンク付き)
参加者 岡崎乾二郎(造形作家/批評家)
薮前知子(キュレーター)
石川卓磨(美術作家)
※インタビューが掲載されました。
石川卓磨インタビュー「真実を語りなさい、しかし斜めに語りなさい」 Tokyo Art Beat (TAB)
2013年6月1日土曜日
トーク・イベントに参加します。
中崎透 「小さな平たいオデコの君は、小さな川を流れゆくまま。」
会期:2013.6.1(土)- 6.23(日) 18:30-22:00
開廊:日月火水 *6/1,22の土曜日は開廊
時間:18:30 - 22:00
会場:22:00画廊
住所:東京都小平市小川町1-776-18
□トークシリーズ「わりと近所でビール片手に世間話。」 各¥500(1drink)
6/02(日)18:30- vol.1/guests:石川卓磨、渡辺泰子
6/03(月)18:30- vol.2/guests:森田浩彰、大久保あり
6/22(土)18:30- vol.3/guests:池崎拓也、秋山幸
6/23(日)18:30- vol.4/guests:土屋貴哉、小瀬村真美
会期:2013.6.1(土)- 6.23(日) 18:30-22:00
開廊:日月火水 *6/1,22の土曜日は開廊
時間:18:30 - 22:00
会場:22:00画廊
住所:東京都小平市小川町1-776-18
□トークシリーズ「わりと近所でビール片手に世間話。」 各¥500(1drink)
6/02(日)18:30- vol.1/guests:石川卓磨、渡辺泰子
6/03(月)18:30- vol.2/guests:森田浩彰、大久保あり
6/22(土)18:30- vol.3/guests:池崎拓也、秋山幸
6/23(日)18:30- vol.4/guests:土屋貴哉、小瀬村真美
2013年4月23日火曜日
レビューが掲載されました。
HAGIWARA PROJECTSで行われている今井俊介 「surface / volume」展について、
ARTFORUM中国語版にレビューを書きました。
ARTFORUM 中文版
http://artforum.com.cn/picks/section=world#picks5081
今井俊介展レビュー at ARTFORUM CHINA (web)の日本語版(PDFダウンロード)
http://www.hagiwaraprojects.com
ARTFORUM中国語版にレビューを書きました。
ARTFORUM 中文版
http://artforum.com.cn/picks/section=world#picks5081
今井俊介展レビュー at ARTFORUM CHINA (web)の日本語版(PDFダウンロード)
http://www.hagiwaraprojects.com
2013年4月10日水曜日
ギャラリートークに参加します。
- 「世界と孤独」 Vol.5 今村 源 展 −わた死としてのキノコ−(立体)
- ■4月3日(水)→22日(月)
■6階 美術画廊X -
彫刻家・袴田京太朗氏プロデュースによるシリーズ企画の最終回、「世界と孤独」vol.5 今村 源展 -わた死としてのキノコ-を開催いたします。
今村源は従来の彫刻の概念とは異なる素材や既製品を用いた作品を発表し、06年に伊丹市立美術館で個展を開催、07年には中原悌二郎賞優秀賞を受賞するなど、関西アートシーンにとどまらず、常に異彩を放ち、注目を集めている作家です。
既製品では「もの」としてあり続けてきたことの価値観を転換し、また自刻像や線材による人体作品では自己にある他者性や人間の存在を問い直しています。こ れらの今村の思考を最も象徴するモチーフとして「キノコ」が多く作品に取り入れられています。地中深くに「菌糸」を張り巡らせ、自然界で循環・共生するそ の不可視の世界に現実世界を重ね合わせています。表と裏、外と内、主観と客観など私たちの日常にも普通に潜む境界線。今村はその表層と内部の共生関係をむ すぶことで新たな価値観を創出しているのではないでしょうか。それは死生を往還しながら、ときにユーモアを交え私たちの知覚や感性に絡み付いてきます。
今展では近年の〈わたし〉をテーマとした制作を新・旧の作品を交えて発表いたします。発表いたします。
「深く狭い穴を掘りぬくようにして向こう側の世界に到達してしまった、」(シリーズ「世界と孤独」袴田京太朗テキストより)。
シリーズ「世界と孤独」のフィナーレを飾る今村源の世界をお楽しみください。
■ギャラリートーク
日時:4月13日(土)15~17時
テーマ:「アトリエから美術は生まれるか。」 企画者:袴田京太朗
シリーズ出品作家:vol.1 東島 毅、vol.2 石川 卓磨、vol.3 小沢 裕子、村山 悟郎、vol.4 岡野 智史、佐藤 玲子、vol.5 今村 源、計8名
2013年3月17日日曜日
2013年3月5日火曜日
【映画】アラン・クラーク監督『エレファント』(1989年)
アラン・クラーク監督の『エレファント』(1989年)というタイトルは、コロンバイン高校で起こった銃乱射事件を扱ったガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』(2003年)を思い出す人も多いだろう。それは間違いではない。なぜならサントの『エレファント』のタイトルは、このクラークの『エレファント』へのオマージュとしてつけられているからだ。そして、類似している部分はタイトルだけでない。二つの『エレファント』で扱われている事件は別のものであるにしても、撮影の手法や説明が省かれた表現と悲劇の描かれ方などで、二つの『エレファント』は結びついている。
ただ、クラークの『エレファント』の方は、サイレント映画と呼んでいいほどセリフがなく(一度だけサッカーをしている少年が短い言葉を発している)、サントの『エレファント』以上に、要素が徹底してそぎ落とされている。内容はIRAによる北アイルランド紛争を扱っているが、作品のなかではそのことを具体的に説明し語られることはない。銃殺の状況だけが淡々と、そして延々と描かれており、商業映画やテレビドラマに見られる一般的なストーリーテリングの手法からはかなり逸脱している。ただし、本作はBBCでテレビ放映されたものである。イギリスの視聴者たちにとって、この設定は周知のことであり、説明されるまでもなく理解できたことなのかも知れないが、この手法のショッキングさはより際立つものであっただろう。
また、その設定はともかく、ひたすらステディカムによる長回しの撮影によって映し出される銃殺される情景。殺人の因果もまったく示されることはない。本作を政治映画としてみたとき、即物的で淡々とした出来事の衝撃力はすごい。しかしこの省略の方法に戸惑いがないかというとわからない。
この作品を政治映画としてみたときに、その図式はあまりに単純すぎる。もちろんこれが現実に起きたことだという事実性は無視しえない重大な問題である。だが、この作品を見た時にどれほど北アイルランド紛争の実体を考える必要があるかと、疑ってしまうほどである。これは私が日本人であるからかもしれない。では、この映画は政治的背景よりも殺しのテクニックを映画的に楽しむものとして作られているのかといえば、そうではないだろう。そのような映画の活劇的魅力は、ミニマリストのように平坦な反復として殺人のシーンを反復することで脱臼している。この銃殺の終わらなさと、それに麻痺していく感覚に僕はめまいすら感じた。
銃殺が遂行される直前から直後のわずか1分程度の時間を垣間見ること。たとえば、世界中で起こっている無差別な殺人事件に、もし自分が居合わせてしまったとしたら、報道やフィクションのような心理や状況の説明がなされないまま、理解できないまま、人が殺されていく出来事を目撃するはずである。
2013年2月12日の夜に、グアムのタモン地区で起こったグアム無差別殺傷事件に巻き込まれた人たちのなかで、目の前でなにが起きて、なぜ人が殺されているのかを理解することができた人間は、おそらくあのときいなかっただろう。そういうなかで止めることのできない目の前の惨状を、人はどのように経験するのか。この経験自体は、事件に政治や宗教などの問題が関わっていようとも、それに回収することのできないまったく別のレベルでの経験であり、出来事性だ。理解はそのずっと後にやってくる。
『エレファント』が描く悲劇は、匿名の人間が匿名の人間によって、突然銃弾によって命が奪われていくことをそのまま見ることである。これは、突如起こった無差別殺人やテロを目撃してしまうことに近いだろう。そして、殺害をアンディー・ウォーホルのシルク・スクリーンのように39分間反復される。この惨劇の反復を見る経験は、ある意味では非常にテレビ的だといえるのかもしれない。少なくともこれはテレビを見ることの反省性を引き出す。私たちは3・11に起きたあの震災や津波の映像を何回繰り返し見ただろう。あの反復と断片的な映像の集積を見る経験は、映画ではなくまちがいなくテレビによるものだ。
また一方で、『エレファント』は、そういった集積された断片の映像であるにしても、単なる反復ではなく、一つ一つの殺人から引き出せる情報には差異がある、ということも留意する重要なポイントである。
クラークの『エレファント』がどれほど現実に起こった事件を再現しているのかはわかっていないが、一連の殺人事件の衝撃に単に目を奪われ言葉を失うのではなくて、この反復と差異によって、事件を分析する手がかりを獲得している。つまり、クラークはわれわれにまだ考える余地を残している。
広角のレンズとステディカムによる長回しの撮影は、事件の時間的なリズムと、殺害現場の風景、犯人と被害者の所作、身なり、年齢、行動や細かな身ぶりが示すものを充分に示している。だから、この映像には、脚本的なレベルでの物語は欠如しているが、出来事としての物語は充満している。
まとめに入ろう。刑事が事件を分析する時、個人的な感情や政治的な立場をはずして行わなければいけないように、『エレファント』は、鑑賞者にそのような分析を強いている。少なくともクラーク自身は、この作品を作る(事件の再現)にあたって、感情的な部分を抑制し冷徹な眼差しで構築することを引き受けている。『エレファント』を観て、テレビのように安易なコメンタリーを付けることは禁止されているとすら感じる。彼は不可逆性/遅れを受け止めながら、仕事を全うしている。それは、不可逆性/遅れを解消するような仕事でも、なんらかの別のメッセージに置き換えるような仕事でもなく、悲劇そのものを見ることであるだろう。
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