2016年5月29日日曜日

「キセイノセイキのあとになにが起きるのか? その1」に参加しました。

会期最終日に、MOTアニュアル2016「キセイノセイキ」をめぐって話し合います。

参加者
飯山由貴(アーティスト)
石川卓磨(アーティスト)
遠藤麻衣(アーティスト)
奥村雄樹(アーティスト)
小泉明郎(アーティスト)
佐々木健(アーティスト)
菅原伸也(美術批評・理論)
杉田敦(美術批評)
高川和也(アーティスト)
橋本聡(アーティスト)
バーバラ・ダーリン(アーティスト)
福居伸宏(アーティスト)
藤井光(アーティスト)
眞島竜男(アーティスト)
ほか

日時:2016年5月29日(日) 18:30~21:30(出入り自由)
場所:木場公園
参加費:無料(予約不要)

2016年5月24日火曜日

美術手帖にレヴューが掲載されました。

美術手帖(2016年6月号)に僕が書いた「二つの暗室 ——漂流Ⅲ 安部公房へのオマージュ・写真とヴォイアリズム展」というレヴューが掲載されました。

2016年5月8日日曜日

山口正城《連結せざる構造による一群の横線》

図1 山口正 城《連結せざる構造による一群の横線》1941

山口正城(1903−1959年)は、バウハウス理論を研究し、抽象絵画とデザインを中心にした日本のモダニズムの領域で業績を残した作家である。ここでは彼の《連結せざる構造による一群の横線》(図1)を取り上げる。この作品で試みられていることは演習的な実験といえるだろう。単純ではあるが、方法を発見し自覚的に構築することは簡単ではない。このような積み重ねによってモダニズム芸術は作られていった。ここでの課題は、タイトルで示されているように、ある規則性を感じさせる機械な横線を用いながら、形の分割(連結せざる)と統合(一群)の拮抗の運動を生み出す試みである。
《連結せざる構造による一群の横線》は、横線によって作られた三つの形態が組み合わされている。三つの形態は線を交差させて接続されることはない。すべての線は、直接交差、接触することなく、線と線の間隔によって作り出されるまとまりによってつなぎとめられている。

図2

図2は、中心に引かれた横線の一群を抜いた状態のものである。二つの放射線状に引かれた横線の群が二つ組み合わされている。横線は放射線状になっているため横にした樽のような印象を持たせる。樽状のボリュームが現れる要因は、放射線状だけでなく左右の二つの形態の両端が円弧状になっていることも大きい。両端が円弧状になっていなければ二点透視法で描かれた塀のコーナーのように見えるが、円弧状になることで丸みを持つようになっている。また、円弧状であることは左右の形態の接続を強くしている。しかし、よく見ると二つの横線の群は、左右非対称で上下がズレて噛み合っておらず、一つの形態のまとまりを成していない。

図3

図3は、中心に引かれた横線を途中まで入れた図である。図2と比べると中心の線は、左右の形態の接続を強めている。また、図3を見ると、中心の横線の一番上の線が水平に引かれていることは、先述した左右の形態の上下のズレを修正するものとして重要性を持っていることがわかる。図1の完成図を見ても、中心に引かれている横線の一群が、左右のパーツをつなぐ働きをある程度していることは確認でき、目とはそのくらいいい加減だとも言える。ただ、ここで重要にことは図1と図3の違いを正確に見ることである。図3の状態までは左右の横線の群をつなぐように引かれるが、図1になると、そのあとは左側に大きくずれて接続の働きを無効にしているのだ。これは、作者が「連結せざる構造」に意識的でなければ起こり得ないような部分なのである。

図4


そのため、図3では樽型の形態と対応した横線のように見えていたが、図1では中心の形態は、樽型の形態から独立していると感じられるようになっている。中心の横線を抜き出した図4で示されるように、中心の形態自体も樽型の形態とは別の奥行きを持った形態なのだ。そのため図2と図4の二つの形態を重ねることは、空間の整合性をチグハグにするものであり、空間を打ち消しあうような拮抗が生まれている。鑑賞者は、慣習の認識によって部分と部分の連結しか弱いながらイリュージョンを作ろうとするが、部分と部分を確認してくと、矛盾を孕み挫折するような不完全な空間である。しかし本作は、この不完全さゆえに複数の空間の可能性を内包することに成功している。空間は単純な線のパターンによって形作られ、一見すると全体が一つの塊を形成するように見える。しかし、よく見ると立体としての整合性は退けられ、一義的には決定できない(だまし絵のようにははっきりと分割できない)複数の空間の認識が未分化な状態で成立しているのである。