2013年12月26日木曜日

展評が掲載されました。

艺术界 LEAPという、中国語と英語のバイリンガルの雑誌に、「森美術館開館10周年記念展 六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト―来たるべき風景のために」の展評を書きました。

日本で売られていませんが、中国では広く読まれている雑誌だそうです。一応お知らせ。 http://leapleapleap.com/

2013年12月20日金曜日

現在のアート<2013>に参加します。

2013年のそれそれの活動や関心を振り返りながら、現在のアートについて考えます。

日程:2013年12月21日(土)10:00〜29:00
場所:主に森美術館展示室内(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53F)[地図
定員:80人(当日先着順、予約不要)
参加費:無料(「六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト」の展覧会チケットが必要です)

【 タイムテーブル 】※随時更新中
[ 第1部 ]
10:00 開場
  *
11:00~13:00 <A>
===
「コンテンポラリー・アートにまつわる10の呪縛あるいは求められていること(仮)」
 田中功起(アーティスト)
「未来に回復される芸術作品」
 藤井光(美術家/映画監督)
「造形について」
 冨井大裕(アーティスト)
 HAGISO(宮崎晃吉+Pinpin Co)
「美術館、残像のアーカイヴ」
 藪前知子(東京都現代美術館学芸員)
「現時点から少し先のことを考えてみる。」
 森司(東京アートポイント計画 ディレクター)
「イマージンド コミュニティ ー国家という想像上のコミュニティ」
 長谷川仁美(ミアカビデオアーカイブ代表、キュレーター)
「文化について議論するための分析美学」
 森功次(美学芸術学)
 清水知子(比較文学・文化理論、メディア文化論)
 吉澤弥生(芸術社会学)
===
13:00~13:30 休憩+Aの質疑応答
  *
13:30~15:30 <B>
===
 吉崎和彦(東京都現代美術館学芸員)
 中村土光(アーティスト)
 榎本浩子(アーティスト)
 河口遥(アーティスト)
 森田浩彰(アーティスト)
 黒瀬陽平(美術評論家、「カオス*ラウンジ」代表)
 片岡真実(森美術館チーフ・キュレーター)
 三輪健仁(東京国立近代美術館研究員)
 石川卓磨(作家、美術批評)
 筒井宏樹(編集、展覧会企画)
===
15:30〜16:00 休憩+Bの質疑応答
  *
16:00~18:00 <C>
===
 齋藤桂太(アーティスト/渋家代表)と上妻世海(キュレーター/渋家)
 二十二会(演劇団体)
 住中浩史(アーティスト)
 Barbara Darling(アーティスト)
 吉田和貴(アーティスト)
「岡崎市美術博物館「ユーモアと飛躍―そこにふれる―」『ゾ・ン・ビ・タ・ウ・ン』の報告」
 構成・オブジェクト・テキスト=小林耕平 テキスト「ゾ・ン・ビ・タ・ウ・ン」=伊藤亜紗
 デモンストレーター=小林耕平、山形育弘 撮影=渡邉寿岳
 岡崎市美術博物館「ユーモアと飛躍―そこにふれる―」キュレーション=千葉真智子

 小林耕平(アーティスト)
 佐々瞬(アーティスト)
「福島市土湯温泉町の芸術祭。記録ではなく、芸術は問題を照らすことで記憶を作る。」
 ユミソン(アーティスト)
 橋本聡(アーティスト)
 井上文雄(CAMP)
===
18:00〜18:30 休憩+Cの質疑応答
  *
18:30~20:40 <D>
===
 原田裕規(美術家)
「芸術は炎上だ!! 〜悪ノリSNSのすすめ〜」
 じゃぽにか(オルタナティブアートクラブ)
 CSLAB(学生自主創造センター)
「島からの景色」
 安岐理加(アーティスト)
 ミルク倉庫(美術家ユニット)
 キュンチョメ(アートユニット)
「ホンモノのニセモノはホンモノなのだ。ていうかどちらでもいい、ということがよくある。」
 中崎透(アーティスト)
 飯山由貴(アーティスト)
 泉太郎(アーティスト)
 川田淳(アーティスト)
 いちむらみさこ(アーティスト)
===
20:40~21:00 休憩+Dの質疑応答
  *
21:00~22:00 A~Dの質疑応答
22:00 終了

[ 第2部 ]
23:00 開始
23:00-05:00 ディスカッション(打ち上げ)
05:00 終了

2013年12月16日月曜日

波がライブをしました。





フォレストリミットにて、波がライブに参加しました。
http://forestlimit.com/fl/

2013.12.15.SUN

【麗しきミジンコはダイヤモンド】

19:00会場 / 19:30開演
料金:1500円 + 1ドリンク 500円
【出演】
星屑のキラメキ
レムスイミン

【DJ】
ぬまたまご部長
++
【アーティストプロフィール】
星屑のキラメキ
ピンクとブルーの宇宙人パーティーバンド
ルーシー(Gt.Vo.Pink)、キャロライン(Vo.Blue)、星くん(マスコットキャラクター)
小星くん(マスコットキャラクターのアシスタント.Gt.PC)
http://www.hoshikuzunokirameki.com
++
レムスイミン
パジャマロックやってます
影(Gt.Vo)、やまだあゆみ(Ba)、ティーヤ(Dr)
http://remsuiminmusic.com
++

石川卓磨キュレーション展「長い夢を見ていたんだ」のイメージソングを
作るために結成したバンド
石川卓磨(Vo.Gt.Ba)、高木生(Vo.Gt.Ba)、畑野裕(Vo.Dr)、宮崎直孝
(Vo.Gt)、外島貴幸(Vo.Key.Dr)
http://taliongallery.com



2013年12月7日土曜日

引込線2013のカタログが発売、発送されました。

わたしが論考を寄稿している引込線2013のカタログが発売されました。
お手にとってもらえたら幸いです。

石川

レビューが掲載されました。

アートフォーラムの中国語版ウェブに「丸山直文 夜みる夢を構築できるか」の展評を書きました。年末には日本語でもweb上で読めるようにする予定です。掲載されしだい、また連絡させていただきます。
 
 http://artforum.com.cn/archive/6105


2013年12月3日火曜日

【告知】石川卓磨キュレーション展|「長い夢を見ていたんだ。|I’ve Been Dreaming for a Long Time」

石川卓磨キュレーション展「長い夢を見ていたんだ。」は、今年の6月にプロローグとして行った「Tell all the Truth but tell it slant - 真実を語りなさい、しかし斜めに語りなさい―」展の本編にあたる展覧会です。参加 アーティストは、プロローグ展に引き続き、外島貴幸、豊嶋康子、箕輪亜希子、吉田正幸の 4 名です。今回、外島と 吉田は、2011 年より活動しているアートユニット、O,1、2 人として参加します。また、展覧会のイメージソング として、石川、外島が参加しているロックバンド波による「長い夢を見ていたんだ。」という楽曲を発表します。 ー

Exhibition Statement
「長い夢を見ていたんだ。」は、夢から現実へと移行したことを説明している状態を示しています。場合によって は、受け入れがたい現実を経験したがために「あれは夢だった」と言い聞かせているニュアンスにも捉えられま す。夢とは、必ずしも眠りの中で見る現象に限定されず、多義的な意味合いを持ちますが、現実という言葉もまた 曖昧です。社会学者である大澤真幸は、現代社会にみられる「現実への逃避」という現象を語るにあたって、“ 究極 の「現実」、現実の中の現実ということこそが、最大の虚構であって、そのような「現実」がどこかにあるという想 定が、何かに対する、つまり〈現実〉に対する最後の隠蔽ではないのか ” と書いています。そして、シュルレアリス トやダダイストたちが、この現実を考えるうえで、夢にとり憑かれたのは、当時の政治的状況とも無関係ではあ りません。長い夢とは現実そのものかもしれないし、目覚めの後にやってくるのが現実とは限りません。この不 安定な状態において、いま、作家たちは、そして芸術は、どういう態度、思考、方法を示すのか。その問いを見る場 として展覧会を考えています。


石川卓磨キュレーション展 「長い夢を見ていたんだ。|I’ve Been Dreaming for a Long Time」
外島貴幸、豊 嶋康子、箕輪亜希子、吉田正幸 2013年12月14日(土) - 2014年1月11日(土) オープニングレセプション:2013 年 12 月 14 日 ( 土 )18:00 - 20:00 年末年始の休廊:12月31日(火) - 1月3日(金)

 
TALION GALLERY
http://taliongallery.com/jpn/current/

ブログ「Tell all the Truth but tell it slant— 」
http://totomiyo.blogspot.jp/




2013年11月17日日曜日

トークイベント「福沢一郎をめぐって」を行います。

お時間がありましたらよろしくお願い致します。

前夜/前線 ― クリティカル・アーカイヴ vol.2
トークイベント Session 3:「福沢一郎」をめぐって

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今夏より、ユミコチバアソシエイツにて実施しているプロジェクト「前夜/前線―クリティカル・アーカイブ vol.2」。
本プロジェクトでは、主として1930年代~50年代に第二次大戦を通して新たな絵画的諸問題に直面した画家たちの実践を取り上げながら、20世紀絵画を独自の視点から論じることを目的としています。

第3回目のトークイベントには、シュルレアリスムの画家として知られる「福沢一郎」を取り上げます。
ゲストとして弘中智子氏(板橋区立美術館学芸員)を招き、企画者の石川卓磨(作家、美術批評)、沢山遼(美術批評)とともに、福沢一郎とその作品をめぐり対談します。
ぜひ、ご参加ください。


■「福沢一郎と戦争 人間像の崩壊と再生」 弘中智子
福沢一郎(1898-1992)は、1931年の独立美術協会展でマックス・エルンストのコラージュに着想を得た絵画をパリから大量に発表し、美術界に衝 撃を与え、若い追随者が続出したこともあり、日本のシュルレアリスム絵画の先駆者となった。しかし、彼が、エルンスト風のコラージュ絵画を制作したのは、 パリ留学時代の一時期に限られており、帰国後の彼の作品は、ヨーロッパのシュルレアリスムの影響が弱まり、満州に取材した《牛》《人》など、日本の社会や 時事問題を取り上げた、福沢独自の社会性の強いものとなった。
1930~40年代の福沢の作品は、帰国、満州旅行、日本のシュルレアリスムと共産主義思想の関係を疑われた逮捕などに伴い、コラージュ絵画から、満州を テーマにした《牛》、彼が代表を務めた美術文化協会を存続させるために描いた戦争画、戦後の《敗戦群像》へと画題が大きく変わっていく。
一方、戦後、福沢は自身の作品について「戦前も戦後も主張に於いて変わりはない」と述べた。時代やテーマは違えども、彼が一貫して描いたのは「人間像」で ある。福沢は人間を描くことで、社会への主張を継続した。コラージュ絵画において記号として描かれた人間、《牛》の地平線に崩れこむような人間、《敗戦群 像》の再起する人間の姿は、いずれも福沢が各々の時代に見つめた人間像である。
今回は、福沢一郎の1930~40年代の作品に描かれた人間像の崩壊と再生に着目し、戦争を挟む時代の彼の絵画思想に迫りたい。


■トークイベント Session 3: 「福沢一郎」をめぐって
弘中智子(板橋区立美術館学芸員) × 石川卓磨(作家、美術批評)× 沢山遼(美術批評)
11月30日(土) 18:00-20:00、事前予約制、参加費¥500(レジュメ付き)
【お申し込み方法】
件名「福沢一郎トークイベント」、お名前、ご住所、電話番号をご明記のうえ、
event@ycassociates.co.jpまで、メールにてお申し込みください。
・定員(25名)に達しましたら、受付を終了いたします。
・ギャラリーからの返信メールが届かない場合は、営業時間内にお問合せください。


[出席者プロフィール]
弘中 智子(ひろなか さとこ)
1979年生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科修了、同大学院博士課程在学中。2006年より板橋区立美術館学芸員。
主な展覧会に「新人画会展」(2008年、板橋区立美術館)、「福沢一郎絵画研究所展」(2010年、同)、「池袋モンパルナス展」(2011年、同)など。主な論考に「帝国美術学校学生とシュルレアリスム」(『武蔵野美術大学研究紀要』No.43、2012年)など。

石川 卓磨 (いしかわ たくま)
1979年生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科修了。作家、美術批評。
主な展覧会に「世界と孤独Vol.2 石川卓磨展」(2012年、日本橋タカシマヤ6階美術画廊X)、など。主な評論に「クリストファー・ウィリアムスのリンゴ」(『所沢ビエンナーレ「引込 線」2011』)、「折り返される場所 “アメリカ抽象絵画の巨匠バーネット・ニューマン”展」(『美術手帖』2010年11月号)など。

沢山 遼 (さわやま りょう)
1982年生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科修了。美術批評。
主な論考に「ジャクソン・ポロック―隣接性の原理」(『ART TRACE PRESS 01』2012年、ART TRACE)、「盲目的遮蔽空間―先キュビスムと《アヴィニョンの娘たち》」(『ART CRITIQUE n.02』2012年、constellation books)「繋辞なき反復―高松次郎の非-命題」(『Jiro Takamatsu Critical Archive 高松次郎論集vol.1』2012年、ユミコチバアソシエイツ)、「「意識的構成主義」という名のオートマトン─村山知義と身体の衝撃」(『引込線 2013』2013年、「引込線 2013」実行委員会)など。



■本件に関するお問合せ■
Yumiko Chiba Associates ユミコチバアソシエイツ
東京都新宿区西新宿4-32-6パークグレース新宿#316
Tel:03-6276-6731 
E-mail:info@ycassociates.co.jp

http://www.ycassociates.co.jp

2013年10月27日日曜日

パフォーマーとして参加しました。

ブランクラス|blanClass
Live Art+公開インタビュー
 
10.26
岡﨑乾二郎
[撮るものも撮りあえず]


ライブ|岡﨑乾二郎 [撮るものも撮りあえず] かつて井戸が谷にあった教場Bゼミに集まる人間は、「とるものもとりあえず」という故小林昭夫所長の言葉に、ある覚悟を受け取って集まっていた。い や覚悟にとどまらない、この言葉は、ある仕事をやるべきもの、と確信しはじめるその一歩=行為に入り込む瞬間にある核心を示している。(サッカー選手に とって、とるものもとりあえず、点をとること以外に決定力というものがありえないように)。この瞬間は形式としても、もちろんイメージとしても定着しえな い、ゆえに記録も正しくは残らない。制作はいつも緊急事態であるゆえに。


日程:10月26日(土)
開場:19:00 開演:19:30
一般:1,500円

2013年9月27日金曜日

トークイベントに参加しました。

【ワンピース倶楽部 2013年9月交流勉強会

[日時] 2013年9月24日(火) 19:00~20:30

[場所] アンクルハット (港区南青山5-6-23 スパイラル9F)

[ゲスト] 上田剛史氏 (TALION GALLERY) 
URL:http://www.taliongallery.com/

[ゲストアーティスト] 石川卓磨氏

「石川卓磨さんは、写真作品を中心に制作しておりますが
美術史に関する講義やトークシリーズを受けもったり、
批評活動も活発に行うなど、一筋縄ではいかない幅と深度をそなえた、
今後最も注目すべき写真家です。」(TALION GALLERY 上田氏のコメント)
http://www.taliongallery.com/jp/artists/ishikawatakuma/index.html
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2013/06/tell-all-the-truth-but-tell-it-slant.html

[定員] 30名

[参加費】 会員  1,500円  
       ビジター 2,000円
  アーティスト 1,000円

2013年9月3日火曜日

トークイベントに参加します。

前夜/前線 ― クリティカル・アーカイヴ vol.2
トークイベント Session 2:「浜田知明」をめぐって

今夏より、ユミコチバアソシエイツにて実施しているプロジェクト「前夜/前線―クリティカル・アーカイブ vol.2」。
本プロジェクトでは、主として1930年代~50年代に第二次大戦を通して新たな絵画的諸問題に直面した画家たちの実践を取り上げながら、20世紀絵画を独自の視点から論じることを目的としています。

第2回目のトークイベントには「浜田知明」を取り上げます。
ゲストとして林道郎氏(上智大学比較文化学部助教授)を招き、企画者の石川卓磨(作家、美術批評)、沢山遼(美術批評)とともに、浜田知明とその作品をめぐり対談します。ぜひ、ご参加ください。


■開催にあたって:「破裂する身体の予感―浜田知明の五十年代」
「戦争と絵画」をテーマにして、今回は浜田知明の50年代の銅版画作品を取り上げる。浜田が描く戦争は、切断された過去として閉じたものではなく、現代社 会にまで繋がる通奏低音をもっている。《よみがえる亡霊》(1956年)での巨大な大砲を持つ潜水艦には、当時日本で言われ始めた戦後の終わりや戦争にた いする反省の風化、そして再び起こるかもしれない戦争への危機感と警句が込められていた。無名の一兵士として中国戦線に従軍した経験にもとづく浜田の代表 的な作品シリーズ「初年兵哀歌」(1951-54年)は、戦争の記録やプロパガンダ以上の芸術的主題を含んでおり、一般化することのできない特殊な感覚が 含まれている。ダリの《茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)》(1936年)や人間の残虐性を徹底して洗い出したゴヤなどに強い影響を受けた浜 田は、戦争にたいして、一義的な正義ではなく芸術を発見している。戦争という、身体に金属が直接的に介入する場とその暴力性は、銅版画の問題に折り返さ れ、彼はそのメディウムがもつ暗い歴史をだれよりも自覚的に引き受けた日本人作家であった。
浜田の作品の検証は、日本と東アジア諸国やアメリカの関係、あるいは憲法のあり方などが大きく揺らいでいる現在においてますます重要性が高まってきてい る。ここでは作品を通して戦争を理解するというよりも、戦争を通して現れる芸術とはいかなるものであるのかについて議論していきたい。
2013.8月 石川卓磨


■トークイベント Session 2:「浜田知明」をめぐって
林道郎(上智大学比較文化学部助教授) × 石川卓磨(作家、美術批評)× 沢山遼(美術批評)
9月12日(木) 18:30-20:00、事前予約制、参加費¥500(レジュメ付き)
【お申し込み方法】
件名「浜田知明トークイベント」、お名前、ご住所、電話番号をご明記のうえ、
event@ycassociates.co.jpまで、メールにてお申し込みください。
・定員(25名)に達しましたら、受付を終了いたします。
・ギャラリーからの返信メールが届かない場合は、営業時間内にお問合せください。



http://www.ycassociates.co.jp/jp/information/criticalarchive2/




[出席者プロフィール]
●林 道郎(はやし みちお)
1959年函館生まれ。上智大学比較文化学部助教授。
1999年コロンビア大学大学院美術史学科博士号取得。2003年より現職。専門は美術史および美術批評。
主な著作に『絵画は 二度死ぬ、あるいは死なない』(全7冊、ART TRACEより刊行中)。「零度の絵画-RRの呟き」(ロバート・ライマン-至福の絵画展、2004年)、「光跡に目を澄まして-宮本隆司論」(宮本隆司 写真展、2004年)。共編書にFrom Postwar to Postmodern: Art in Japan 1945-1989 (New York: The Museum of Modern Art, 2012)などがある。『アジアのキュビスム』展(東京国立近代美術館、2005年)には、キュレーターとして参加。東京在住。

●石川 卓磨 (いしかわ たくま)
1979年生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科修了。作家、美術批評。
主な展覧会に「世界と孤独Vol.2 石川卓磨展」(2012年、日本橋タカシマヤ6階美術画廊X)、など。主な評論に「クリストファー・ウィリアムスのリンゴ」(『所沢ビエンナーレ「引込 線」2011』)、「折り返される場所 “アメリカ抽象絵画の巨匠バーネット・ニューマン”展」(『美術手帖』2010年11月号)など。

●沢山 遼 (さわやま りょう)
1982年生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科修了。美術批評。
主な論考に「ジャクソン・ポロック―隣接性の原理」(『ART TRACE PRESS 01』2012年、ART TRACE)、「盲目的遮蔽空間―先キュビスムと《アヴィニョンの娘たち》」(『ART CRITIQUE n.02』2012年、constellation books)「繋辞なき反復―高松次郎の非-命題」(『Jiro Takamatsu Critical Archive 高松次郎論集vol.1』2012年、ユミコチバアソシエイツ) など。

2013年8月20日火曜日

フォトテクニック デジタル2013年9月号に寄稿しました。

窓際のテクニシャンに学ぶ
自然光を活かした
屋内ポートレート撮影講座

あまりにも暑い…。
そこで、今回はフォトテク流・屋内撮影のすゝめ。
人工光の使用は最低限にとどめ、
窓からの自然光を活かした撮影ノウハウを多数紹介していく。
モデルにはどう光が当たるとよいのか?
屋内で撮影するポーズや構図のバリエーションは?
さらに、絵画の描いた自然光も参考に。

photo+text=河野英喜/上野 勇/長野博文/根本好伸/舞山秀一/松田忠雄
text = 石川卓磨

http://www.genkosha.co.jp/pd/

2013年8月14日水曜日

引込線 2013に論考執筆で参加します。 


 http://hikikomisen.com/2013/information.html

埼玉県所沢市に在住する数名のアーティストを発起人とした美術展「引込線」が4回目の開催を迎える。今回は、展覧会名を「所沢ビエンナーレ『引込線』」から「引込線」に改称、執筆者の人選を若手批評陣に一任するとともに、作家の人選も軌道修正した。

今展は、 給食センターとして活用されていた建物を会場とする展覧会、執筆陣とアーティストの協働で行われる「ゼミナール給食センター」、展覧会後に発行する論文集 を兼ねたカタログの3つで構成。今回新設した「ゼミナール給食センター」は、アーティストと執筆陣の有志が協働して、芸術をめぐって激論を交わす場を提供 する。

出品作家は、伊藤誠、遠藤利克、荻野僚介、利部志穂、倉重光則、末永史尚、鷹野隆大、戸谷成雄、冨井大裕、登山博文、豊嶋康子、中山正樹、前野智 彦、眞島竜男、益永梢子、水谷一、箕輪亜希子の17人。論考執筆者は、 阿部真弓、荒川徹、石川卓磨、石崎尚、井上康彦、沢山遼、高嶋晋一、中井悠、野田吉郎、桝田倫広、松浦寿夫、峯村敏明、森啓輔、米田尚輝の14人。(敬称 略)

参考:前回展会場風景 2011年 撮影 加藤健
【会期】 2013年8月31日(土)~9月23日(月・祝)
【会場】 旧所沢市立第2学校給食センター(埼玉県所沢市中富1862―1)
【休館】 会期中無休
【開館時間】 10:00~17:00
【料金】 無料
【問合せ】 080-3537-3021(引込線 2013実行委員会)
【関連リンク】 引込線 2013


イベント
毎週末を中心に、会場内イベントルームを使用し、トーク、レクチャー、シンポジウム等を開催。詳細は、公式ホームページに掲載予定。
【予定】
・美術をデザインすること(冨井大裕ほか)
・フランシス・ベーコン解剖(井上康彦、沢山遼、桝田倫広ほか)
・コアコア@所沢(沢山遼ほか)
・鉄道と港の形而上絵画(沢山遼、阿部真弓ほか)
・絵画の話(末永史尚、登山博文、荻野僚介ほか)
・超克の彫刻(森啓輔ほか)

2013年7月30日火曜日

写真の日記を付け始めました。

学生にタンブラーで写真日記をすることを勧めたので、自分も始めることにしました。
適度な筋トレになりそうだから、最低一年は続けたいなと。
iphoneで撮った写真をあげていきます。

The Spider and The Broom-Diary
http://ishitakuma.tumblr.com/


2013年7月17日水曜日

トークイベント、研究冊子 「前夜/前線 ― クリティカル・アーカイヴ vol.2」

ユミコチバアソシエイツの 「前夜/前線 ― クリティカル・アーカイヴ vol.2」に参加します。



このたび、ユミコチバアソシエイツは、20世紀絵画を独自の視点から論じる研究冊子の刊行(2014年春刊行予定)ならびに一年を通して行うトークイベントを開催いたします。

昨年刊行された高松次郎研究冊子『Jiro Takamatsu Critical Archive』は好評を博し、執筆者 4 名によるトークイベントも盛況のうちに終了しました。本企画は、その成果を踏まえ開催されるものです。
シリーズ2回目となる今回は、「戦争と絵画」をテーマに、石川卓磨、河本真理、沢山遼、弘中智子の各氏を迎え、美術家、美術史家、批評家、学芸員として活動されている4者のそれぞれの見解を持ち寄り、日本と西洋の20世紀絵画の再検討を行います。

トークイベントでは、企画者である石川卓磨、沢山遼の両氏が毎回ゲストを招き、対象となる画家やその作品をめぐって対談します。 香月泰男、浜田知明、福沢一郎など、主として1930年代~50年代に第二次大戦を通して新たな絵画的諸問題に直面した画家たちの実践が取り上げられる予 定です。
ぜひ、ご注目ください。


■開催にあたって
 第二次大戦以降、日本やイギリスをはじめとする国で、多くの戦争画が描かれた。「戦争画」 の定義を広義に解釈すれば、いくつかの前衛主義――たとえば未来派やフランツ・マルクらの壮絶な絵画経験も、その範疇に含めることができるだろう。戦争と いう局面は、絵画を外的状況との絶え間ない緊張関係へと接続した。おおよそ、戦争経験による主体の再編を考慮することなしに、20世紀絵画を語ることは不 可能である。しかし、私たちが行いたいのは、あらゆる20世紀絵画に戦争の陰影を読み込むような、反映論的な議論ではない。20 世紀の絵画実践は、外部との緊張関係を示す実直なドキュメントであったのではないからだ。むしろ、そのような状況において、画家自身がいかに、外部によっ て再編された制作主体を分析したのか、という視点こそが重要である。それは、さまざまな時差や抽象性の濃度をともなって、特定の様式論的枠組みには還元不 可能な、意味論的かつ形式的な諸コードの発明と絵画組成の変容をもたらしたはずだ。それにともなって、絵画の内在的展開や様式論的推移といった神話もま た、解体されなければならないだろう。
 外部状況は、いかに制作主体の存在論的次元を再編し、絵画はそのような状況をいかに目撃したのか。戦争という、人間を「剥き出しの生」へと差し向ける例 外状態は、絵画という一個のマテリアルの物理的な生成過程にいかに作用するのか。あるいは、図像の可読性のレヴェルにかかわらず、絵画の政治的・力学的・ 実践的な諸問題を方法論的に読解可能なものにする、いかなる批評があり得るのか。私たちは、そのような課題を通して、新たな絵画理論の構築を目指したいと 思う。具体的には、浜田知明、香月泰男、福沢一郎ら、主として 1930 年代~50 年代に、そのような絵画的諸問題に直面した画家たちの実践が、議論の俎上にのぼることになる。
2013.5月 沢山遼



■前夜/前線 ― クリティカル・アーカイヴ vol.2
トークイベント Session 1:「香月泰男をめぐって」
蔵屋美香(東京国立近代美術館美術課長)
石川卓磨(作家、美術批評)
沢山遼(美術批評)

7月20日(土) 17:30-19:30、事前予約制、参加費¥500(レジュメ付き)

【お申し込み方法】
件名「クリティカルアーカイブvol.1」、お名前、ご住所、電話番号をご明記のうえ、
event@ycassociates.co.jpまで、メールにてお申し込みください。
・定員(25名)に達しましたら、受付を終了いたします。
・ギャラリーからの返信メールが届かない場合は、営業時間内にお問合せください。
※vol.2以降のスケジュールが決まり次第、随時ご案内差し上げます。


■研究冊子
「前夜/前線―クリティカル・アーカイブ vol.2」として、各執筆者による研究冊子を刊行いたします。
2014年春の刊行予定です。
【執筆者】
石川卓磨(作家、美術批評)
河本真理(美術史家・広島大学大学院准教授)
沢山遼 (美術批評)
弘中智子(板橋区立美術館学芸員)



プロフィール等、詳細はプレスリリースをご覧ください。
Press Release(JP)>>

2013年7月10日水曜日

レヴューが掲載されました。

ARTFORUMの中国版ウェブに, 現在メゾンエルメス8階フォーラムにて開催されている「ウルの牡山羊」シガリット・ランダウ展のレヴューを書きました。今回僕の日本語の文章はどこにもアップされません。
僕はイスラエルで活動しているランダウがシオニズムの歴史を取り上げつつ作品化しているなかで、彼女の態度と作品化する上での飛躍がなんであるのかについ て短いながら検証しました。いい勉強になりました。沢山くんは「ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか」について書いています。
中国語読める人はよろしくお願いします。


 http://artforum.com.cn/picks/section=world#picks5300

2013年6月22日土曜日

【告知】石川卓磨キュレーション展プロローグ Tell all the Truth but tell it slant ー真実を語りなさい、しかし斜めに語りなさいー

2013.6.8 - 2013.6.22 -
石川卓磨キュレーション展プロローグ
Tell all the Truth but tell it slant ー真実を語りなさい、しかし斜めに語りなさいー
参加アーティスト:外島貴幸、豊嶋康子、箕輪亜希子、吉田正幸
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オープニングレセプション:2013.6.8 18:00-21:00
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本展覧会は、2013年12月に開催が予定されている、石川卓磨キュレーション展のプロローグとして位置づけられる展示プロジェクトです。この他にも石川 キュレーション展の関連企画としては、今年1月よりWeb上で継続的に展開されている、同タイトルのブログによるプロジェクトがあります。 (http://totomiyo.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html)
本展では、4名の参加作家それぞれが、テクスト、ドローイング、漫画、パフォーマンスなどジャンルを横断した思考に基づき、鉛筆のみを使って制作する ウォール・ドローイングが展示されます。鉛筆は、書く/描くものとして伝統のあるオーソドックな素材ですが、巨大な壁面と空間との不釣り合いな関係によっ て、ネット空間とは違う形で作家の試みや制作の基本姿勢が反映されるでしょう。また会期中には、造形作家・批評家の岡﨑乾二郎氏と、キュレーターの薮前知 子氏を招いて、トークイベント「展覧会の想像力」を行います。

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Artists:
外島貴幸
豊嶋康子 >>
箕輪亜希子
吉田正幸
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Press Release >>
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ギャラリートーク:展覧会の想像力

日時  2013年6月18日(火) 19:30-21:30 (19:00開場)
会場  TALION GALLERY 台東区谷中3-23-9
定員  30名 要予約
    ※予約の受付は終了致しました。
入場料 ¥1000 (1ドリンク付き)
参加者 岡崎乾二郎(造形作家/批評家)
    薮前知子(キュレーター)
    石川卓磨(美術作家)



 ※インタビューが掲載されました。
 石川卓磨インタビュー「真実を語りなさい、しかし斜めに語りなさい」 Tokyo Art Beat (TAB) 


2013年6月1日土曜日

トーク・イベントに参加します。

中崎透  「小さな平たいオデコの君は、小さな川を流れゆくまま。」

会期:2013.6.1(土)- 6.23(日) 18:30-22:00
開廊:日月火水  *6/1,22の土曜日は開廊
時間:18:30 - 22:00
会場:22:00画廊
住所:東京都小平市小川町1-776-18

□トークシリーズ「わりと近所でビール片手に世間話。」 各¥500(1drink)
6/02(日)18:30- vol.1/guests:石川卓磨、渡辺泰子
6/03(月)18:30- vol.2/guests:森田浩彰、大久保あり
6/22(土)18:30- vol.3/guests:池崎拓也、秋山幸
6/23(日)18:30- vol.4/guests:土屋貴哉、小瀬村真美

2013年4月23日火曜日

レビューが掲載されました。

HAGIWARA PROJECTSで行われている今井俊介 「surface / volume」展について、
ARTFORUM中国語版にレビューを書きました。

ARTFORUM 中文版
http://artforum.com.cn/picks/section=world#picks5081

今井俊介展レビュー at ARTFORUM CHINA (web)の日本語版(PDFダウンロード)


2013年4月10日水曜日

ギャラリートークに参加します。


「世界と孤独」 Vol.5 今村 源 展 −わた死としてのキノコ−(立体)
■4月3日(水)→22日(月)
■6階 美術画廊X

彫刻家・袴田京太朗氏プロデュースによるシリーズ企画の最終回、「世界と孤独」vol.5 今村 源展 -わた死としてのキノコ-を開催いたします。
今村源は従来の彫刻の概念とは異なる素材や既製品を用いた作品を発表し、06年に伊丹市立美術館で個展を開催、07年には中原悌二郎賞優秀賞を受賞するなど、関西アートシーンにとどまらず、常に異彩を放ち、注目を集めている作家です。
既製品では「もの」としてあり続けてきたことの価値観を転換し、また自刻像や線材による人体作品では自己にある他者性や人間の存在を問い直しています。こ れらの今村の思考を最も象徴するモチーフとして「キノコ」が多く作品に取り入れられています。地中深くに「菌糸」を張り巡らせ、自然界で循環・共生するそ の不可視の世界に現実世界を重ね合わせています。表と裏、外と内、主観と客観など私たちの日常にも普通に潜む境界線。今村はその表層と内部の共生関係をむ すぶことで新たな価値観を創出しているのではないでしょうか。それは死生を往還しながら、ときにユーモアを交え私たちの知覚や感性に絡み付いてきます。
今展では近年の〈わたし〉をテーマとした制作を新・旧の作品を交えて発表いたします。発表いたします。
「深く狭い穴を掘りぬくようにして向こう側の世界に到達してしまった、」(シリーズ「世界と孤独」袴田京太朗テキストより)。
シリーズ「世界と孤独」のフィナーレを飾る今村源の世界をお楽しみください。


■ギャラリートーク
日時:4月13日(土)15~17時
テーマ:「アトリエから美術は生まれるか。」 企画者:袴田京太朗
シリーズ出品作家:vol.1 東島 毅、vol.2 石川 卓磨、vol.3 小沢 裕子、村山 悟郎、vol.4 岡野 智史、佐藤 玲子、vol.5 今村 源、計8名

2013年3月17日日曜日

トークイベント

CAMP
PARTY #5「no fast / no like / no art」
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速くしないこと/嫌いなこと/アートではないことについて

日時:2013年3月17日(日) 17:00~21:00 ※16:30から受付開始
場所:22:00画廊(東京都小平市小川町1-776-18[地図])
定員:15名(要予約) 参加費:1,000円(軽食付き)

<参加者>
石川卓磨(アーティスト、批評)
川田淳(アーティスト)
斉藤有吾(おせっかいな月下氷人)
林卓行(美術理論・美術批評)
藤川琢史(アーティスト)

2013年3月5日火曜日

【映画】アラン・クラーク監督『エレファント』(1989年)



アラン・クラーク監督の『エレファント』(1989年)というタイトルは、コロンバイン高校で起こった銃乱射事件を扱ったガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』(2003年)を思い出す人も多いだろう。それは間違いではない。なぜならサントの『エレファント』のタイトルは、このクラークの『エレファント』へのオマージュとしてつけられているからだ。そして、類似している部分はタイトルだけでない。二つの『エレファント』で扱われている事件は別のものであるにしても、撮影の手法や説明が省かれた表現と悲劇の描かれ方などで、二つの『エレファント』は結びついている。

ただ、クラークの『エレファント』の方は、サイレント映画と呼んでいいほどセリフがなく(一度だけサッカーをしている少年が短い言葉を発している)、サントの『エレファント』以上に、要素が徹底してそぎ落とされている。内容はIRAによる北アイルランド紛争を扱っているが、作品のなかではそのことを具体的に説明し語られることはない。銃殺の状況だけが淡々と、そして延々と描かれており、商業映画やテレビドラマに見られる一般的なストーリーテリングの手法からはかなり逸脱している。ただし、本作はBBCでテレビ放映されたものである。イギリスの視聴者たちにとって、この設定は周知のことであり、説明されるまでもなく理解できたことなのかも知れないが、この手法のショッキングさはより際立つものであっただろう。

また、その設定はともかく、ひたすらステディカムによる長回しの撮影によって映し出される銃殺される情景。殺人の因果もまったく示されることはない。本作を政治映画としてみたとき、即物的で淡々とした出来事の衝撃力はすごい。しかしこの省略の方法に戸惑いがないかというとわからない。
この作品を政治映画としてみたときに、その図式はあまりに単純すぎる。
もちろんこれが現実に起きたことだという事実性は無視しえない重大な問題である。だが、この作品を見た時にどれほど北アイルランド紛争の実体を考える必要があるかと、疑ってしまうほどである。これは私が日本人であるからかもしれない。では、この映画は政治的背景よりも殺しのテクニックを映画的に楽しむものとして作られているのかといえば、そうではないだろう。そのような映画の活劇的魅力は、ミニマリストのように平坦な反復として殺人のシーンを反復することで脱臼している。この銃殺の終わらなさと、それに麻痺していく感覚に僕はめまいすら感じた。

銃殺が遂行される直前から直後のわずか1分程度の時間を垣間見ること。たとえば、世界中で起こっている無差別な殺人事件に、もし自分が居合わせてしまったとしたら、報道やフィクションのような心理や状況の説明がなされないまま、理解できないまま、人が殺されていく出来事を目撃するはずである。
2013年2月12日の夜に、グアムのタモン地区で起こったグアム無差別殺傷事件に巻き込まれた人たちのなかで、目の前でなにが起きて、なぜ人が殺されているのかを理解することができた人間は、おそらくあのときいなかっただろう。そういうなかで止めることのできない目の前の惨状を、人はどのように経験するのか。この経験自体は、事件に政治や宗教などの問題が関わっていようとも、それに回収することのできないまったく別のレベルでの経験であり、出来事性だ。理解はそのずっと後にやってくる。

『エレファント』が描く悲劇は、匿名の人間が匿名の人間によって、突然銃弾によって命が奪われていくことをそのまま見ることである。これは、突如起こった無差別殺人やテロを目撃してしまうことに近いだろう。そして、殺害をアンディー・ウォーホルのシルク・スクリーンのように39分間反復される。この惨劇の反復を見る経験は、ある意味では非常にテレビ的だといえるのかもしれない。少なくともこれはテレビを見ることの反省性を引き出す。私たちは3・11に起きたあの震災や津波の映像を何回繰り返し見ただろう。あの反復と断片的な映像の集積を見る経験は、映画ではなくまちがいなくテレビによるものだ。

また一方で、『エレファント』は、そういった集積された断片の映像であるにしても、単なる反復ではなく、一つ一つの殺人から引き出せる情報には差異がある、ということも留意する重要なポイントである。
クラークの『エレファント』がどれほど現実に起こった事件を再現しているのかはわかっていないが、一連の殺人事件の衝撃に単に目を奪われ言葉を失うのではなくて、この反復と差異によって、事件を分析する手がかりを獲得している。つまり、クラークはわれわれにまだ考える余地を残している。
広角のレンズとステディカムによる長回しの撮影は、事件の時間的なリズムと、殺害現場の風景、犯人と被害者の所作、身なり、年齢、行動や細かな身ぶりが示すものを充分に示している。だから、この映像には、脚本的なレベルでの物語は欠如しているが、出来事としての物語は充満している。

まとめに入ろう。刑事が事件を分析する時、個人的な感情や政治的な立場をはずして行わなければいけないように、『エレファント』は、鑑賞者にそのような分析を強いている。少なくともクラーク自身は、この作品を作る(事件の再現)にあたって、感情的な部分を抑制し冷徹な眼差しで構築することを引き受けている。『エレファント』を観て、テレビのように安易なコメンタリーを付けることは禁止されているとすら感じる。彼は不可逆性/遅れを受け止めながら、仕事を全うしている。それは、不可逆性/遅れを解消するような仕事でも、なんらかの別のメッセージに置き換えるような仕事でもなく、悲劇そのものを見ることであるだろう。


2013年2月27日水曜日

【映画】 『上海特急』




ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『上海特急』(1931年)は、転向を扱った映画である。厳密にいえば偽の転向を主題とした物語だ。1930年代の内戦下にある中国で、北京から上海に向かう特急電車に乗り合わせた者たちが巻き込まれる事件の話である。そして、マルレーネ・ディートリッヒ演じる「上海リリー」と、英国軍医のハーヴェイ大尉の二人がこの電車のなかで偶然再会する。彼らは五年前に別れた恋人同士だった。ハーヴェイと別れてからリリーは、さまざまな男と付き合い金を貢がせるような生活をしていた。しかし、リリーも自分の淪落による変化の大きさを感じながらもハーヴェイのことを愛し続けていた。そしてハーヴェイも変わらず気持ちは同じであった。しかし、特急列車は叛軍の襲撃にあい、乗客は叛軍にとらわれてしまう。叛軍のリーダーであるチャンは色欲魔として描かれ、高等教育を受けた中国人のフイ・フェイを強制的に犯してしまうような男である。
そんなチャンに、リリーが口説かれているのを聞いて、ハーヴェイはチャンをはり倒してしまう。それによってハーヴェイは囚われ、焼きごてで目をつぶされそうになる。リリーはそれを防ぐために、ハーヴェイと別れを告げ、チャンとともに行動するとこを承諾する。しかし、ハーヴェイは、自らの身代わりとなるためにリリーがチャンについていくことを知らないため、リリーの行為を裏切りと考え激怒してしまう。
結果チャンは、 フイ・フェイに殺され、リリーとハーヴェイは再び一緒に特急列車に乗って上海に向かうが、ハーヴェイの憤りは収まらない。しかし、リリーはハーヴェイに真実を語ろうとも説得しようともしない。何故なら信頼とは、そういう裏切りを越えるものとしてあるべきと彼女は信じているからだ。
きわどい言い方であるが、ハーヴェイにとってリリーが淫売婦になった時点で、汚れた存在として認識し得たはずである。なぜハーヴェイは、チャンとの不義理が許せず、それを許せたのか。おそらくそれはリリーが彼と別れたことで淪落したと理解できたからだろう(これも酷い言い方である)。チャンによるリリーの裏切りが、ハーヴェイを傷つけたのは、それは彼女がハーヴェイではなく、チャンを選んだというところにある。だが、リリーは、ハーヴェイと元の二人の関係に戻れると信じていた。

これをメロドラマに回収するより、もう少し抽象化して考えよう。語らなくてもそれが偽の転向であることがわかるはずだと信じるリリーの信念はどこからくるのだろうか。彼女が語ろうとしないのはなぜだろうか。それがこの映画の主題なのである。
相手を信頼しているからといって、相手を裏切らないとは限らない。相手を絶対的に信頼しているからこそ裏切りの行為を遂行してしまう話というのは、偶然にも先日観た根岸吉太郎監督『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』(2009年)も同じであった。そして、『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』は、敗戦国である日本の戦後直後の過酷な状況が刻印されているが、『上海特急』は戦中の状況下での緊迫した状況が刻印されている。語ら(れ)ない理由はそういう緊迫感のリアリティーから生まれている。
結果として行われる裏切りがなければ、生存を許されない状況下での信頼関係、それは書類的な記述の外部にしかない信用問題である。そのメッセージを読み取れるかどうかというのは、単に精神論的な盲目性を意味しないはずである。相手から発せられる、私にしか通じないメッセージを私は正確に読み取らなければならない。さもなくば誤って、相手を殺してしまうことになる。『上海特急』では、このような類いの伝達の可能性が描かれていた。

2013年2月18日月曜日

【映画】 トッド・ソロンズ監督『おわらない物語 アビバの場合』



長い間おろそかにしていたこのブログ。次書く記事は、映画ではなく美術にしようと思っていたが、結局また映画を書くことにしてしまう。
また、今週はジャ・ジャンクーの映画を二本観たというのに、それについてではなく、トッド・ソロンズ監督の『おわらない物語 アビバの場合』(2004年)について書こうと思う。

『おわらない物語 アビバの場合』の英題は、『Palindromes』である。Palindromeの意味とは「回文」であり、Palindromesその複数形である。Palindromesは、Aviva(アビバ)という12歳の少女の名前が回文であり、そして人種・年齢・性別も異なる8人の役者たちが、Avivaを演じているプロット自体を示しているといえる。物語は、回文的に機能するような循環構造ではなく、おわらない物語でもなく、ひとつの成長物語である。
この映画は、子供をたくさん産みたいと夢見る少女の「幸せな家族」という健全な願望は、行為の遂行があまりにも若すぎるタイミングであったことから中絶などを経験し(つまりその「健全さ」の恣意性を皮肉っている)、いろいろな試練を経た後にもう一度子供を宿す物語だ。
話は笑ってしまうくらい過酷な物語で、トッド・ソロンズお得意のどうしようもない人間のどうしようもない物語でもある。ただ、彼の前作の『ストーリー・テイリング』(2001年)の余白もなにもないようなシニカルさよりも、可愛らしさが際立った映画だった。そこがこの作品を魅力的なものにしていたと思う。アメリカにある典型的なキリスト教や道徳的なものを徹底的反転させてみせるソロンズのシニカルな態度から、笑いや感情の動きを排除してしまうと、批判は痛烈だとしても単純な図式でしかない。だから、僕は『ストーリー・テイリング』を退屈だった。そして、『おわらない物語 アビバの場合』は、『ストーリー・テイリング』よりも安心して観ることができるということだけでなく、ソロンズの試みの細部にまで入っていくことができたのだ。
 
さて、「人種・年齢・性別すらも異なる8人」とさらりと書いてしまったが、複数の人間が一人の少女を演じるのは、プロットとして小さいものではない。一人の役を複数の役者が演じることは特別にめずらしいわけでもないが、この形式の採用は、この作品に効果的な作用を与えていたし、この類の映画のなかでも成功していると感じられる作品だと思えた。
この成功とは、本作がとても写真的に感じられたことと関係する。それはどういうことか説明していこう。8人の役者は、そのほとんどがハリウッドで役者となりえる風貌の基準から外れた容姿をしている。太っていたり、赤毛だったり、やせすぎだったり、骨張っていたり、だんごっぱなだったりと。にもかかわらず、彼女たちはとても愛らしい。(ちなみに唯一男性でアビバを演じているウィル・デントンは、このなかでは群を抜いて美少女に見える。)
それぞれのパートを演じる役者たちは、物語のなかのアビバの変化と共振しながら、言葉では言い表せないような鈍い意味(プンクトゥム)を表情のなかに有して、観る者の感情を大きく揺さぶる。おそらく、ソロンズはこの役者たちを俳優としてよりも、写真のモデル・被写体として見ていたように思われる。その被写体の魅力は、商業映画では排除されてきたような人間の表情の魅力である。

映画俳優を、役者ではなく被写体としてみると、相貌の語彙の幅というのが写真よりも狭い。 実際写真のほうが映画よりもはるかに多様なタイプの人間の魅力を引き出してきた。写真で被写体を魅力的に撮る技術は、そんなに簡単ではない。さらに鑑賞者とは無関係の人間であり、いわゆる美形な人間ではない被写体を撮りながら、愛おしさ感じさせ、感情が揺さぶるのは難しいが、そういう優れた写真は多くある。現実では立場も人種も環境もまったく接点もない人間や、自分の好みのまったくタイプでもない被写体に、写真のなかでは魅力を感じ、感情を揺さぶられたりするのはなぜだろうか。その原因は、単に人の姿を見ているのではなく、言葉にはなりにくい、言うと陳腐にしかならないような物語が生まれていることにあるだろう。それは自分の卑近な現実を括弧に入れることで見える、同時にこういう人間がいることを現実として受け止められることによる広がりである。これは、物として人体を扱うことで生まれる美しさや、プリントによって引き出される美しさではない。
『おわらない物語 アビバの場合』でも、お世辞にもかわいいとはいえないような役者から、こちらが動揺するほどの魅力を引き出されている。これは写真的だと僕は考えるが、ただ彼女たちの魅力は止まっているなかで見えてくる美しさではなく、運動のなかで際立って見えてくる愛らしさだと思う。少なくともこの映画のなかで最も魅力的な部分を担っているシャロン・ウィルキンズのどうしようもない可愛らしさは、写真では発見できない。その魅力とは、演出とカメラの設計からある程度映画の物語と関係し、同時にある程度は映画の物語とは無関係に現れていると感じる。

この子供を産みたいと願う12歳のアビバが妊娠するまでの単純だが過酷な物語は、登場人物たちの社会的な認識の欠如や不器用さによる過ちの連続であり、アメリカの階級や人種などの社会認識を風刺する笑いを持った典型である。しかし、ここでは妙な抽象性と軽やかさがあるような気がする。この手の物語は、笑いと同情が癒着としてべったりとしたセンチメンタリズムに収束しやすいが、そのような映画とこの映画が一線を画していることは、この抽象性と軽やかさによるものである。
この映画が持っている差別や社会格差などに結びついた笑いと文学性は、排除された者たちや敗者の眼差しである。だが、アビバは社会的な規範から乖離し、過酷な現実を前にしても少しも後悔も反省もせず、自分の思い描く理想=妊娠を探しつづけている(それは最後に改めて知らされる)。つまり、そこには諦念が全くない。この肯定こそが、ソロンズの作家性であり、この作品の素晴らしいところだ。そこはまるで大島弓子の漫画ようですらある。大島弓子作品の映画化はことごとく失敗しているようだが、この映画が大島弓子の原作であったとしら、僕はそのことに納得するかもしれない。

2013年2月3日日曜日

グループ展に参加しています。

 
渡辺泰子企画 グループ展「地上より」
Group Exhibition Curated by Yasuko Watanabe “From the Ground”
2013年1月19日(土)~2月23日(土)
11:00 ~ 19:00 日・月・祝祭日休廊
GALLERY SIDE 2
この度、GALLERY SIDE 2では、今週末1月19日(土)から渡辺泰子企画グループ展「地上より」を開催致します。
また、2月2日(土)には、日本では数少ないSETI※研究者の1人である兵庫県立大西はりま天文台 天文科学専門員の鳴沢真也氏をお招きし、特別トークショーを開催致します。
ご来場を心よりお待ち申し上げます。


展覧会に寄せて

文:渡辺泰子

私たちは大切にできるものがそんなに多くないことも知っているけれど、
だからといって慎ましくいるわけではない。
目玉を動かし、身体いっぱいに手を伸ばし、野蛮な気持ちに心を動かす。

超音速で回転しながら、およそ秒速28kmで移動し続ける乗り物の表面。
足下は安定しない。
この地上より始まったことを偶然とするか運命とするか。
なにより世界が摩訶不思議であることを感じるから、その感触をもっと得たいと思い、輪郭を浮かびあがらせようとする。
ここで行われるたくらみ、愛すべき創造の営みを紹介しよう。

池崎拓也氏は海を陸を悠々と飛び越え、風景を両手いっぱいに懐に抱き寄せる。
引き寄せたそれを身の回りのものに変化(へんげ)させていく眼差しのスケールは伸びやかで、アジアを体感しようと試み続けてきたからだろう独自の伸縮性を持っている。
彼の見ようとしている世界がなにげない物質にすり替わる瞬間に、現実とフィクションの境界線は揺さぶられる。
そこにしかない場所/作品、それでしかありえない風景/作品をつくる視点が作品に浮遊感をもたらし、世界を温かくふくよかなものにしてくれる。

石川卓磨氏の視線は、ときにユーモラスに、ときに暴力性をもって表わされる。
それは対象に深い愛着を感じている眼差しでありながら、同時に人間の解釈/誤読がたどり着く滑稽さをあばこうとするものでもある。
更新され続けてきた世界への考察、可能性への飽くなき好奇心を糧に、カリカチュアの側面を持ちながらも時空を超えようとする作品群は、
地面を踏みしめる足のざらついた感触を再び思い起こさせてくれるのだ。

そして、今回特別トークにお呼びする鳴沢晋也氏。
鳴沢氏は、兵庫県西はりま天文台に勤める天文科学専門員として、日本におけるSETIの活動の第一人者として精力的に活動を続けてこられた。
SETIとは地球外知的生命体探査(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)の略であり、天文学の一分野である。
1960年にアメリカのFrank Drake(フランク ドレイク)氏が国立電波天文台で実施したのが最初で(オズマ計画)、その後もアメリカを中心に観測が続けられている。
主に電波望遠鏡で受信した電波を解析し、地球外知的生命から発せられたものがないかを探すという活動である。
鳴沢氏は2009年全国同時SETI「さざんか計画」、2010年オズマ計画50周年記念の世界同時SETI「ドロシー計画」のプロジェクトマネージャーを勤め、現在も来るべき日に備え、活動されている。
地球外生命の発見は時間の問題と言われている今、
その、広大な宇宙にむけて耳をすます活動の原動力となる想像力とはいかなるものなのか。
鳴沢さんは「なにを」準備しているのか?
私たちは孤独な存在なのか?
遠く兵庫県からお越し頂くこの貴重な機会を大変光栄に思う。

先に伝えておこう、私の考えはこうだ。
この地球上で起こっている出来事の不思議さを思えば、自分の想像を遥かに越えた出来事はまだまだ私たちを待っている。
知ることを待つ。知るために準備する。そして、たぶんほとんど知らずに死ぬ。
それでもそう、私たちだけだなんて、スペースがもったいない。

最後に、この展覧会から受信されたものが、さらにこの世界を魅力的なものにしてくれることを願う。

ーーイカットは足を止めて、祝杯をあげる真似をした。
「来るべきすべての世代の人々が、自分では完成させることのできないなにかを、はじめられますように」
グレッグ・イーガン『プランク・ダイブ』所収「伝播」 山岸真訳(早川文庫SF)

ART CRITIQUEに作品とインタビューが掲載されました。

ART CRITIQUEに作品とインタビューが掲載されました。
書店などで手に取っていただけましたら幸いです。

ART CRITIQUE n. 03 散逸のポエティクス
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注目の美術家・石川卓磨の新作「quarter」、そしてインタヴューを掲載。写真とテキストによる独自の表現。インタヴューでは、シャルダン、スーラ、映画をつらぬく写実の問題を語る。
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矢野静明×上田和彦、二人の画家によるロング対談を掲載。フランシス・ベーコンなどを題材に、「動くもの」としての絵画のポテンシャルを探る。
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思想史家の王寺賢太のロングインタヴューを掲載。ミシェル・フーコーのカント論をきっかけに、人間の自由の可能性を問う。
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デザインはデザイナーの宇平剛史さん。一風変わったつくりになっていますので、発売しましたら、ぜひお手にとってみてください。
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2013年1月31日発売予定
本体1600 円+税
A5 判並製 モノクロ200頁
ISBN:978-4-9905499-3-0 C0070
発売:constellation books




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