2017年12月15日金曜日

トークイベントに参加しました。

12月15日(金)19:00~
トークイベント:美術を印刷物にすること| ⑴「引込線2017」の印刷物
ゲスト:櫻井 拓(編集者)、森大志郎(デザイナー)、加藤健(写真家)
聞き手:石川卓磨(美術家、批評家)
参加費:¥1000(1drink+入場料)

森大志郎
1971年生まれ。美術展や映画祭カタログ等のエディトリアルデザインを主に手がける。主な仕事=東京都現代美術館MOTコレクション展覧会シ リーズ、『MOTアニュアル2011』(東京都現代美術館)、東京国立近代美術館ギャラリー4 展覧会シリーズ、『ぬぐ絵画』、『ヴィデオを待ちながら』(東京国立近代美術館)、『Dan Graham by Dan Graham』『瀧口修造とマルセル・デュシャン』(千葉市美術館)、『Grand Openings, Return of the Blogs』(ニューヨーク近代美術館)、『パウル・クレー おわらないアトリエ』(京都国立近代美術館)、『清方 ノスタルジア』(サントリー美術館)、『蔡国強』(広島市現代美術館)、『「出版物=印刷された問題(printed matter)」:ロバート・スミッソンの眺望』(上崎千との共作『アイデア』320、誠文堂新光社)「Rapt! 20contemporary artists from Japan」(国際交流基金)など。 

櫻井拓
フリーランスの編集者。1984年宮城県生まれ、京都府在住。アートに関わる本や印刷物(作品集、展覧会カタログ、批評書など)の編集。芸術批評誌『ART CRITIQUE』を編集発行。そのほか教育や経済、広告などの分野で、本や記事の構成と編集。愛知大学文学部メディア芸術学科など非常勤講師。最近の仕事に『池内晶子|Akiko Ikeuchi』 (gallery21yo-j、2017年)、「Artist Interview 竹岡雄二」(『美術手帖』、2016年4月号)、『引込線 2015』(引込線実行委員会、2015年)など。

加藤健
1977年生まれ、福岡県出身。2002年、武蔵野美術大学彫刻学科卒。
大学在学中より写真家 中野正貴氏のアシスタントを務め、2002年フリーランスフォトグラファーとして活動を開始。
美術作品やインスタレーション風景、アートドキュメント(制作の現場やアートパフォーマンス等)の写真を撮影。
引込線は2011年、2013年、2015年、2017年と過去4回撮影を担当。
他の撮影実績として、ヨコハマトリエンナーレ2011-2014-2017、「新次元 マンガ表現の現在」「CAFE in Mito 2011」(水戸芸術館)、「石子順造的世界」(府中市美術館)、「TARO賞の作家Ⅱ」(川崎市岡本太郎美術館)、「未見の星座」(東京都現代美術館)、「キュッパのびじゅつかん」(東京都美術館)、「NEW VISION SAITAMA 5 迫り出す身体」「遠藤利克展ー聖性の考古学」(埼玉県立近代美術館)、資生堂ギャラリー、トーキョーワンダーサイト、横浜美術館、横浜市民ギャラリーなど。他多数。

石川卓磨
1979年千葉県生まれ。美術家、美術批評。
主な評論に「カエサルのものはカエサルに!――鈴木清順における「ルパン三世」と「浪漫三部作」」(『ユリイカ2017年5月号 特集=追悼・鈴木清順』、青土社、2017)、「ポストアプロプリエーションとしての写真」(『カメラのみぞ知る』[図録]、ユミコチバアソシエイツほか、2015年)、「戦争と銅版画――浜田知明の『戦争』画について」(『前夜/前線―クリティカル・アーカイヴ vol.2』、ユミコチバアソシエイツ、2014年)、「生存のレオロジー――ゾエ・レオナードにおける生政治」(『引込線 2013』[図録]、引込線実行委員会、2013年)などがある。近年の展覧会に、「雲をつかむできごと 石川卓磨+多田由美子 Vol.1」( Gallery TURNAROUND、2017年)、 「犬死にか否か」(TALION GALLERY 、2017年)、「第9回恵比寿映像祭『マルチプルな未来』」(東京都写真美術館、2017年)、「教えと伝わり|Lessons and Conveyance」(TALION GALLERY、2016年)などがある。

2017年12月6日水曜日

京都造形大学で講義を行いました。

12月6日に京都造形大学にて特別講義のレクチャーを行いました。

展覧会に参加します。

髙橋耕平さんの企画によるALLNIGHT HAPS 2017後期「接触の運用」の第一弾として、
2017年12月6日(水)〜12月26日(火)に京都のHAPSで展示を行います。
http://haps-kyoto.com/allnighthaps2017_takahashi/

概要

ALLNIGHT HAPS 2017後期「接触の運用(英題:operating contacts)」
会期 2017年12月6日(水)〜2018年4月23日(月)
企画 髙橋耕平
出展作家 
 #1 石川卓磨 2017年12月6日(水)〜12月26日(火)※終了しました。
 #2 三重野龍 2018年1月9日(火)〜1月31日(水)
 #3 笹岡由梨子 2018年2月6日(火)〜2月28日(水)
 #4 柳瀬安里 2018年3月6日(火)〜3月26日(月)
 #5 小林耕平+髙橋耕平 2018年3月30日(金)〜4月23日(月)
展示時間 18:00〜9:30(翌日朝)
会場 HAPSオフィス1F(京都市東山区大和大路五条上る山崎町339
主催 東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)
支援 平成29年度 文化庁文化芸術創造活用プラットフォーム形成事業
助成 公益財団法人 朝日新聞文化財団

企画趣旨

 石川卓磨、三重野龍、笹岡由梨子、柳瀬安里、小林耕平。
 私が彼、彼女らの作品を経験した日やシチュエーションはバラバラだが、作品を後にした私の身体は静かに変化していった。やや遅れて不意に自覚化される身体への影響–重力への意識、形に内包される筋肉の働きへの想像、関節の機能性、視線を向けられることへの恐怖、主体性を宿した身体への懐疑。自らの身体を運用し作品化するという点に於いて共通する5人。個別の関心事、作法はバラバラであるものの、コントロールが及ばない事象に自らの身体を寄せ、摩擦を起こし、巻き込まれ、その感触の具合を造形・質感・所作・構造として作品に練り込んでいかんとする。時には身体の一部を蝕まれ欠損さえさせられるが、身体的な接触がこの世界を理解する上で必要不可欠だと言わんばかりに彼らの作品は生成されていく。調和のとれた場面に態々分け入り接触の結果を作品として表すその行為、その態度とは何なのか。私はこの5人の作家の作品を通じ考えたいと思う。時に私も分け入りながら。
 石川卓磨の近年の作品に、ダンサーの動きを高速シャッターによる数千枚の静止画で捉え、それを現像、選択、連続させることで人間の身体そのものを出現させる映像がある。映像を構成する1枚ずつの静止画はダンサーを前にした石川の感知と反応の現れであるが、同時にシャッターを押す以前/以後の身体の緩みもそこから想像することが出来る。緻密なグレートーンの画像の明滅に隠れてやってくるその緩みは、石川の息遣いであり石川がダンサーに振動させられている証である。つまり我々が目撃しているのはダンサーの身体だけでなく、その動きによっていちいち解体されていく石川の身体のドキュメントなのである。また作中で屢々引用される映画や小説は、歴史の連続性から切り離し難い時代とその風景を検証するために、作品の支柱の一つとして用いられており、そこには批評活動を行うもう一人の石川の身体の使い方が現れている。
三重野龍。グラフィックデザイナー。三重野の繰り出す文字、形、佇まいに魅了されている私の眼は、その仕事を前にすると隅から隅まで見尽くしたいという欲望に駆られる。字でも絵でもない、書くでも描くでもなく繰り出し定着される形。制限ある枠組、ルールの上で身体をどう運用するべきか。観る人間がどのように眼を動かし留めるのか、或は見切るのか。三重野は、グラフィックデザイン、グラフィティ、ドローイング、プロダクト制作、身体表現の間を振り子のように運動する経験からそれを熟知し、独自の手つきによって眼の欲望の先を見通し、弾力を有したしなやかな形を考案する。例えるなら柔らかい関節を備えたアスリートの身体である。故に私は三重野が繰り出す形象に人格すら感じる。本企画のメインビジュアルからもそれを測ることが出来るだろう。
 笹岡由梨子が綴る物語もそこに登場する人物も全く見事なハリボテである。しかし我々はハリボテの接合面を想像する事ができても実際に見る事は出来ない。
 ぎこちない動きのマリオネットに貼り付けられた顔、形、色彩、動作、言葉、それぞれのパーツを無理矢理繋ぐ不安定な身体の制作と同様に、個別の物語と歴史上のコンテクストを荒っぽく接続してしまう快楽と危うさを、ハリボテ構造を持ち出す事で批評する。つまり物語の成り立ちを身体の成り立ちに例えていると言えよう。部分同士の接合は常に観客に託されており、順序と方法を間違えたならば、悪魔の身体を出現させることさえも予感させるハリボテ行為。笹岡の作品は鼻歌が突如軍歌に成り代わるような狂気の飛躍を我々に提供する。一見親しみ易い変拍子に乗せて。
 柳瀬安里は文字通り自分の身体を差し出すことで作品を成立させる作家と言えよう。例えば国会議事堂前、高江、福島に。自らの生活の場と特殊な事情を抱えた場所での経験を接続することの危うさ、抵抗、そして希望について、敏感に反応する柳瀬の身体が記録される。声の震え、こわばった表情、行き先が定まらない歩行、カメラを見つめる眼。その場をうまくやり過ごすことが出来ず不規則に、ぎこちなく、時に停止する柳瀬の姿は、スクリーン前に立ち距離をもってそれを観る鑑賞者の居心地の悪さと重なる。つまり柳瀬の身体は我々の身体の代替である。記録映像を見ているにすぎないはずの我々は現場への接触を迫られる。柳瀬の身体の先行によって。
 小林耕平は近年、物や出来事に自身の解釈=言葉を投げかける事でそれそのものの潜在性を露わにし、体験の変容を迫る作品を制作する。しかし言葉によって変容させられるのは何も物や出来事だけではない。映像の中に佇む作者自身への評価、印象、眼差しの変更をも迫られる場合すらある。言葉を口にすること。言い切ること。言い淀むこと。とぼけること。誤魔化すこと。物や事を通した対話や表明に小林自身が巻き込まれて行く様子をやや離れた位置から笑いを浮かべながら眺めている我々は、程なくして自分の存在根拠を疑うことになる。小林の振る舞いによって身体の輪郭を固めていたはずの諸条件が音を立てずに溶かされていく。今回は髙橋がここに参入、接触することで新たな身体の運用を体現する機会を得たいと思う。(企画:髙橋耕平)

2017年12月4日月曜日

レクチャーのお知らせ

京都のメディアショップにてレクチャーを行います。

http://www.media-shop.co.jp/talk_event/ishikawa_171204/ishikawa_171204.html「非写真」について」
石川卓磨レクチャー
 ーーなぜ写真を懐疑することはいま、かつてないほど重要なのか
デジタルカメラやPhotoshop、さらにはスマートフォンの普及以降、写真は、私たちにとって、かつてなく身近でありふれたものになっています。さらに、「インスタ映え」する写真にするための、アプリでの画像編集などに典型的なように、写真と加工とを切り離して考えることが難しい状況が生じています。インターネットを含む日々の現実を、膨大な量のイメージが取り巻く現在においては、もはや写真という概念は因習として残っているに過ぎず、映像イメージとしか呼ぶことができないものが氾濫する、「ポスト写真」的状況が生じています。

そのような状況下で膨大な量のイメージに圧倒され続ける私たちは、むしろ1枚1枚の写真をよく見て考えるという経験を、失ってしまっているのではないでしょう か。その結果として逆説的に、写真=事実だとなんとなく信じ込んでしまうような態度さえ、身についてしまっているのではないかと思えます。

それにもかかわらず、写真をよく見て考える経験、すなわち写真に対する懐疑の経験は、いかにして可能なのでしょうか。あるいは、その懐疑を保ち続けることは、なぜ重要なのでしょうか。

本レクチャーでは、写真を媒体とした美術作品を発表しながら、美術史、写真史を背景にした多面的な批評活動を行なわれている、美術家の石川卓磨さんをお招きします。ジェフ・ウォール、スタン・ダグラス、ロドニー・グラハム、クリストファー・ウィリアムズなどの作品を題材に、「非写真」についてレクチャーをしていただきます。

「非写真」とは、コンセプチュアル・アートに端を発する、断片化、縫合、異化、転用などの方法によって、従来写真に特権的だとみなされていた偶然性、無意識、瞬間性、真実性を脱構築し、写真についての思考を促す一群の作品のことです。ジェフ・ウォールはライトボックス作品を、「写真でも、絵画でも、映画でもないもの」として発見しましたが、そのような「非写真」についての考察から、現代の写真やイメージをめぐる状況、さらにはそこへ批評的に介入する視角について考えます。
出演 石川卓磨(美術家、美術批評)
日時 2017年12月4日(月)19:00 - 21:00(開場は18:30)
会場 MEDIA SHOP | gallery(京都市中京区河原町通三条下る大黒町44)